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男の絶対的な急所、金玉。それを責める女性たちのお話。
日本には八百万の神がいるといわれているが、中には変わった神様もいるらしい。神様が考えることは、人間にはすぐに理解できなくても、そこには必ず意味があり、時としてそれを実感できることもあるのかもしれなかった。




中根マドカは25歳で、とある大学の図書館の司書をしていた。小さいころから読書が好きで、望んでこの仕事に就いた彼女は、まさしく本の虫といった外見をしている。
清潔感はあるが、飾り気のない真っ白なワイシャツ。その上からカーキ色の地味なエプロンをつけ、袖にはいつも黒い腕抜きをしている。
最後に化粧らしいことをしたのは、成人式で写真を撮ったときらしい。太いセルフレームの黒縁メガネの奥で、いつも伏し目がちな目がキョロキョロとしている。
唯一女性らしい気づかいといえば、長く伸ばした黒髪だったが、それも仕事中は邪魔にならないよう、何の色気もなく頭の上に束ねられていた。
とにかく本さえ読んでいられれば幸せというマドカの生活は、極めて平凡で規則的なものだった。しかしあるとき、その歯車は狂い始めるのである。


月曜の朝。
仕事場に向かう途中の交差点で、マドカは信号待ちをしていた。
今日は朝からどんよりと曇っており、今にも雨が降り出しそうな天気だった。

(…あれ?)

ポツリ、と頭に雨粒が降ってきたような気がして、思わず顔を上げた。
準備のいいマドカは、その鞄にいつも折り畳み傘を入れている。念のためにそれを取り出して、いつでも開けるように、左手に持って歩こうとした。
やがて信号が変わり、歩き出そうとしたその時。

「ぐえっ!」

マドカのすぐ後ろで、こもったうなり声がした。
驚いて振り向くと、そこにはサラリーマン風の男性が立っており、背中を丸めて、内股になって震えている。
よく見ると、その両手は股間をおさえているようだった。

「え…? あの…」

マドカはついさっき、歩き出そうとした瞬間、大きく降り出した左手の折り畳み傘が、何かに当たったような感触がしたのを思い出した。
それが、この男性に当たってしまったのだろうか。

「大丈夫ですか…? ごめんなさい…私が…その…えっと…」

30代くらいのサラリーマン風の男性は、身じろぎもせず、つま先立ちになって、股間と下腹をおさえていた。
マドカが振り回した傘の先端は、男性の股間に斜め下からクリーンヒットしてしまったらしい。そこには当然、男の最大の急所がある。
しかし、生まれてこの方男性と付き合った経験もないマドカには、このサラリーマンの身に一体何が起こっているのか、すぐには理解できなかった。

「あの…大丈夫ですか? どこが痛いんですか…?」

男性はようやく顔を上げて、心配そうに覗き込むマドカに答えた。

「い、いや…まあ…その…大丈夫ですから…。ちょっと休めば…」

マドカの傘が股間に当たったことが、故意ではないと分かっていたから、男性も耐えることしかできなかった。

「そうですか…? あ…じゃあ、私、行きますね。すいませんでした」

交差点の向こう側から渡ってきた人たちも、怪訝そうに男性とマドカのことを見ていた。
青信号が点滅をし始めたのを見て、マドカは慌てて交差点を渡った。

(変なの…。ちょっと傘が当たっただけだと思ったけど…。それくらいであんなに…。あ!)

歩きながら、男性がその手でどこをおさえていたかを思い出し、マドカはやっと理解した。
交差点を渡り終えたところで振り向くと、男性は相変わらず内股の状態で、近くの電柱に体を寄せて休んでいた。
その痛ましい姿を見て、自分が男性のどこに傘を当ててしまったのかを確信すると、マドカは顔を真っ赤にして、足早に歩き去るのだった。




朝から妙なことがあったが、マドカの仕事はいつもと変わらぬものだった。
この図書館には30万冊以上の蔵書があり、司書の仕事は貸出だけでなく、その整理や管理もしなければならない。
一日中、パソコンと向かい合っていることも珍しくなかったので、マドカは常々、肩こりに悩まされていた。

「ふう…」

午前中の業務がひと段落したところで、マドカは一息つき、椅子に座ったまま、肩の体操を始めた。
腕抜きをした細い手を、前後左右に動かして、肩を回す。
背筋を伸ばしてのびをすると、華奢な体格に似合わない胸が、ワイシャツを膨らませた。もちろん、真夏でも下にTシャツを着ているから、下着が透けるようなことはない。

「中根さん」

「はい!」

この職場で唯一の男性である、主任の来島がマドカのことを呼んだ。
完全にリラックスモードに入っていたマドカは、驚いて振り向いた。

「あうっ!」

主任の来島は、マドカが思っていたより近くに立っていた。
体操をしていた勢いで振り向くと、マドカの腕はそのまま無防備な来島の股間に打ち込まれることになってしまった。
ぐにっと、生暖かい感触を、マドカはその左こぶしに感じた。

「う…! ううぅ…」

来島は手に持っていた書類を落とし、その場にしゃがみこんでしまった。

「あ! 主任! 大丈夫ですか?」

今回は、マドカにも自分が何をしてしまったのか、すぐに理解できた。
慌てて来島を介抱しようとするが、どうしたらいいのかよく分からない。
遠心力のついていたマドカの腕のスピードは、案外強烈で、来島は下腹から湧き上がってくる途方もない痛みに、脂汗をかいて唸ることしかできなかった。

「何? どうしたの?」

「主任?」

床にうずくまる来島の様子に異変を感じ、同僚たちも集まってきた。
しかし、この職場には男性は来島しかおらず、その苦しみを理解できるものは誰ひとりいなかった。

「どうしたの? 中根さん?」

職場の最年長で、この図書館に数十年務めているという久保田ヒロコが声をかけた。

「あ、あの…私が主任に呼ばれて振り向いたときに…その…手が主任に当たってしまって…」

どこに当たってしまったのかまでは、マドカには言いきれなかった。

「手が当たったって…お腹とかに?」

「いえ…あの…その…。たぶん…急所…だと思います…」

再び顔を赤くしながら、か細い声でようやく言えた。
女性たちはそれを聞くと、一瞬、きょとんとした表情になったが、やがて一斉に吹き出してしまった。

「プッ…フフフ! ああ、そう。急所に当たったのね。それは災難ね。フフフ…」

「は、はい…」

来島よりはるかに年上のヒロコだからこそ、遠慮なく笑えるが、マドカは申し訳なさそうにうつむき、その他の若い女性たちも、上司の手前、笑いをかみ殺しているような状態だった。
女性たちに囲まれて、急所の痛みにしゃがみこんでしまっている来島にとっては、それは何より恥ずかしいことだった。

「まあ、これは時間が経つのを待つしかないわね。ちょっと当たっただけなんでしょ? すぐによくなるわよ」

「そ、そうなんですか? 主任、すいません…」

マドカは心から謝っているつもりだったが、痛がっている顔を覗き込まれると、来島は目を背けたくなるほど屈辱的な気分になった。

「腰を叩いてあげなさい。そうすると、いいらしいわよ」

「え? 腰ですか…? は、はい。…この辺ですか?」

うずくまっている来島の腰を、マドカはためらいがちに手で叩いてやった。
来島は、おそらく自分がとてつもなく情けない姿になっていることを自覚していたが、マドカの柔らかい手が自分の腰を叩くと、確かに痛みが和らぐような気がした。

「あ…ああ…」

思わず声が出てしまう。
それを聞いた同僚の女性たちは、さらに笑いをこらえなければならなかった。



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「はあ…」

昼休み、大学の食堂に向かうマドカの足取りは重かった。
何か今日は、妙なことばかり起きてしまう。
生活ができるだけの仕事をして、あとは読書さえできればいいという彼女の平凡な人生には、起こるべからざるハプニングの連続だった。
なるべく考えないようにしようと思い、いつも通り文庫本を片手に、キャンパスを歩いていた。

「すいませーん。ボール、投げてくださーい」

ふと気がつくと、マドカの足元に野球のボールが転がってきていた。
顔を上げると、グラウンドの方から、野球部らしい学生が声をかけている。
マドカには野球の経験などはなく、きちんとボールを投げられるかさえ怪しいものだったが、なんとなく気晴らしになればと、慣れないことをしてみようとした。

「はーい。そーれ!」

足元のボールを拾うと、ぎこちない動作で、学生に向かって投げた。
そのボールは思ったよりも高く上がり、いつの間にか晴れ間が見えていた空に向かって、野球部の学生は目を向けた。

「あっ!」

突然、雲の隙間から差し込んだ光に、学生は目を細めた。
ボールを見失ったと思った次の瞬間。

コーン!

と、キャンパスの石畳にボールが跳ねて、そのまま吸い込まれるようにして、学生の股間に直撃した。

「あぐっ!」

マドカの奇跡的な投球だった。
視聴者投稿の珍場面動画でもあれば、グランプリも夢ではないほどの驚きの出来事だった。

「あ…ああぁ…!」

しかし、野球の硬球が股間を直撃した学生の方はそれどころではなく、苦しそうに股間を両手でおさえながら、その場にうずくまってしまった。

「……!!」

マドカは、ボールを投げた時の姿勢のまま、何が起こったのかを理解して、固まってしまった。
やがて額に冷たい汗が流れるのを感じると、そそくさとその場を立ち去り、苦しむ学生を振り返ろうともしなかった。




(おかしい。何か、絶対におかしい…。こんなことって、あるはずがない…)

さすがのマドカも、自分の身の周りに何かが起きていることを感じずにはいられなかった。
普段、仕事以外ではまったくと言っていいほど男性との関わりがない彼女が、今朝からすでに3人もの男をノックアウトしてしまっている。しかもそのすべてが、股間の急所攻撃によるものだ。
男の体の中で最も男性的なその部分を、日頃まったく意識したことのないマドカにとっては、それはひどく恥ずかしいことに思えてしまい、偶然とは思えない一連の出来事の原因を探ろうと、懸命に考えるのだった。

(最近、何か変わったことって…)

極めて規則的で日常的な自分の生活の中から、何か特異点のようなものがなかったかどうか、思い出してみる。
ふと、何か思いついたように鞄の中を探り、何かを取り出した。
その手の中には、古びた人形のようなものが握られている。

(もしかして、これ…?)

それは旅行好きな彼女の祖母が、九州の土産にくれたもので、現地の骨董品市で見つけたお守りだった。
黒光りする石でできたそのお守りは、埴輪のような女性神が、丸い球の上に乗った形をしている。
九州の遺跡から発掘されそうなそのお守りを、マドカは一目見て気に入ってしまったのだが、その効果について祖母に尋ねてみると、

「金運とかなんとか言ってたような気がするね」

という、あいまいな返事が返ってきた。
どうやら祖母も、その形だけを気に入って、お土産にしたものらしかった。

(まさか…ね…)

マドカの最近の日常の中で、変わったことといえば、この程度のことだったのだが、まさかこのお守りのせいで男性をノックアウトするはめになっているとは思えなかった。

(でも、他には何にも…)

お守りを鞄にしまって、再び考えようとしたとき、背後から声をかけられた。

「あれ? 何か落としましたよ」

振り返ると、つい今しがたすれ違った男子学生が、石畳の上を覗き込んでいる。
そこには、さっき鞄にしまったと思っていたマドカのお守りが落ちており、学生は親切に身をかがめて、拾おうとしてくれているところだった。

「あ! す、すいません!」

何の証拠もないが、なぜか男性がそのお守りに触れることが、とてもまずいような気がして、マドカは慌てて駆け寄り、自分で拾おうとした。
すると、焦って石畳につまづき、前のめりによろけてしまう。

「あっ! っと!」

ズン!

と、マドカの頭のてっぺんに、何か柔らかいものがぶつかった感触があった。
前のめりに転びそうになった彼女と、腰をかがめてお守りを拾おうとした男子学生。二人がちょうどぶつかり合う瞬間、またしても奇跡が起きた。

「ぐえっ!!」

男子学生は、何かスポーツでもしているのか、かなりたくましい体つきをしていた。
しかし、そんな彼の厚い胸板やスリムな腹筋の下に、どうしても鍛えられない脆い一点があり、マドカの頭は、ちょうどそこに直撃してしまったのだ。

「くうぅぅ…」

マドカにとっては、もはや見慣れた光景になっていた。
その男子学生は、朝のサラリーマンや主任の来島とまったく同じように、痛そうに目をつぶり、両手で股間をおさえて内股になってしまう。

「あ…ああ! す、すいません! すいません…」

またしてもやってしまったと思った。
一体なぜ、今日に限ってこんなことが連続して起きるのか。マドカにはさっぱり意味が分からなかったが、とりあえず落ちていたお守りを拾って、尻を突き出して苦しんでいる学生の腰を叩いてやることにした。

「あの…痛いですよね…。分かってます…。すいません、ホントに…」

「あ…うぅ…」

学生はまだ声もろくに出せないようで、かわいそうなくらい必死に、両手で股間をおさえている。
大きな体をした学生が背中を丸めて苦しみ、小柄なマドカが腰をさすっている様子は、一見して転んだ子供を母親が慰めているようで、道行く学生たちの目を引くのだった。




昼休みの後は、とりあえず何事も起こらなかった。
マドカが注意して、男性に近づかないようにしているおかげだったのだろう。
それでも昼食を終えた後、図書館に戻った時は気まずかった。

「…中根さん…?」

いつもよりもだいぶ控えめな声で、来島が中根を呼んだ。

「はい?」

マドカが振り向くと、普段よりちょっと離れた場所に、来島が立っている。
しかもマドカが振り向いた瞬間、来島はビクッとして、その左手を股間に当ててしまった。

「こ、これを…打ち込んでおいて…」

マドカに近づかないように、精いっぱい手を伸ばして書類を渡すと、すぐに自分の机に戻っていった。
マドカはきょとんとした表情で書類を受け取り、その様子を後ろから見ていたヒロコが、クスクスと笑っていた。




しかし、マドカが油断したからというわけではないが、奇妙な出来事はまだ終わらなかった。
彼女の読書以外の唯一の趣味が水泳で、週に一回、スポーツジムのプールに通っていた。
といっても、人と触れ合うことが苦手な彼女は、泳ぎを習うというわけでもなく、自分のペースで、好きなように泳いでいくだけだったのだが。

(はあ…。今日はなんか、疲れたな…)

ゆっくりと平泳ぎをしながら、考え事をするのが彼女の習慣だった。
いつもは読んでいる小説の続きを想像したりするのだが、今日ばかりは違うことを考えてしまう。

(なんであんなに…股間ばっかり当たっちゃうんだろう…。今まで一度もそんなことなかったのに…)

兄妹もおらず、男性と交際したこともない彼女は、男の股間についている性器については、学校の保健体育くらいの知識しかなかった。
しかし、そこが男の急所であり、絶対に鍛えられない場所であるということは、もちろん知っている。

(テレビで見たことはあるけど、ホントにあんな風に痛がるんだ…。あんまり強く当たったとは思わなかったけど…。偶然当たっても、あんなことになるなんて。男の人って、大変なんだな…)

ゆっくりと数キロ泳いだ後、マドカはプールサイドに上がった。
逆にどこで売っているのかと思うくらい、地味で飾り気のないワンピースの水着から、水が滴っている。
肩で息をしながら、プールサイドを歩いていると、このスポーツジムのインストラクターが声をかけてきた。

「やあ、中根さん。こんばんは」

「あ、こんばんは…」

たしか木村とかそういう名前だったと、マドカは思い出していた。
マドカは彼のレッスンを受けているわけではなかったが、すでにこのジムに通って2年ほどになるため、顔見知りになっている。

(……)

普段は気にもしなかったが、インストラクターの木村が着ている水着は、ピチピチの競泳水着だった。
その股間には当然、男性を象徴する膨らみがもっこりと盛り上がっており、しかもプールから上がったばかりなのか、濡れてツヤツヤと光っている。
今日、あんなことがあっただけに、マドカは思わずその膨らみを凝視してしまった。

(この人も、アソコにぶつけられたら、痛がってしゃがみこんじゃうのかな…)

真っ黒く日焼けした木村の肉体は、ボディビルダーと見紛うほどに精悍なものだったが、今、マドカの関心はその六つに割れた腹筋ではなく、その下の膨らみだった。

「……?」

木村は、普段のマドカにはない雰囲気を感じ取ったが、かといって自分の股間が注目されているとは思わなかった。
やがて、マドカが木村の前を通り過ぎようとしたとき、プールサイドの水に足を滑らせて、よろけてしまった。

「あっ!」

こういう時、人間はとっさにその場にあるものを掴もうとする習性がある。
マドカはその習性通り、一番近くにあった一番掴みやすいものを、その手に握ってしまった。

「ぎゃあっ!!」

なんとか尻もちをつくだけで済んだマドカの耳に、カエルの鳴くような悲鳴が飛び込んできた。
ふと見上げると、マドカはその左手で、木村の股間の膨らみをしっかりと握りしめてしまっている。

「あ! やだっ!」

自分がしでかしたことを理解して、マドカは木村の股間からすぐに手を離した。
一瞬だが、マドカの全体重が、木村の股間にかかってしまったことになるだろう。
木村はすぐさま股間に手を当てて、そのまま座り込んでしまった。

「う…ぐぅぅ…!」

じわりじわりと、木村の股間から痛みが広がり始めていた。
握られた瞬間も痛かっただろうが、それとは別の内臓を捻るような痛みが、これから数十分、彼の肉体を支配するのだ。

「あの…すいません! ホントにごめんなさい…」

マドカの必死の謝罪も、木村の耳には届かなかった。
やがて他のインストラクターが異変に気づき、二人の周りに集まってきた。

「どうしたんですか? 木村さん!」

声をかけられても、木村はただ苦しそうに呻くだけだった。
仕方がないので、マドカが状況を説明しなければならない。

「あの…私が転びそうになって…つい…掴んでしまったんです…木村さんを…」

「ええ? 掴んだ? え…と…それは…」

「その…あの…股間を…」

やっとの思いで、マドカはそれを口にすることができた。
それを聞いた男性のインストラクターは、苦しむ木村の様子を見て、何も言えなくなってしまった。
一方、ジャージ姿の女性のインストラクターは、一瞬、眉をひそめて怪訝そうな顔をした後、理解したのか、急に吹き出してしまった。

「プッ…ククク…。あ、ごめんなさい…。ククク…」

懸命に笑いをこらえている様子だった。それを見て、女性であるマドカも、少し救われた気分になる。
一方の男性インストラクターは、女性が笑うのを苦々しそうに見ていたが、すぐに気を取り直して、立ち上がった。

「俺、担架を取ってきます。とりあえず、医務室に運びましょう」

返事を待たずに、男性インストラクターは駆けて行った。
ジャージ姿の女性は、なおも笑いをこらえているようだった。

「それはその…けっこう強めに掴んじゃったんですか? フフフ…」

「え? あ、はい…。たぶん…」

まだ手に残っている木村の股間の感触を確かめるように、マドカは自分の左手を見た。
その様子が、またしても女性インストラクターの笑いを誘うのだった。





木村は医務室に運ばれて、診察を受けた。幸いにも、急所が潰れたりしたわけではないということで、それを聞いたマドカは、ホッと胸を撫で下ろした。
しかし木村は、今日は自力で帰ることは難しいということで、同僚に付き添われながら、ジムに用意してある車いすに乗って帰って行った。

「はあ…」

マドカはジムを出た後で、何回目かのため息をついた。
今日一日の彼女に起こった出来事を考えれば、それもしょうがないことだろう。
一体、何が原因でこんなことが起こっているのか。自分は25年間の人生で、男性の股間を直接見たことすらないというのに、水着ごしとはいえ、握りしめてしまったのだ。
もう、何も考えたくない。とにかく家に帰って、ゆっくりと休みたいというのが、マドカの心からの願いだった。

ジムからマドカの自宅までは、徒歩で15分ほどだった。昔からある住宅地の中の一軒家で、そこに両親と暮らしていた。
子供のころから歩きなれた道だったから、多少暗くて人通りが少なくても、不安に思うことはない。そこに、マドカの油断があった。

「きゃっ!!」

小さな公園の前を通り過ぎようとしたときに、突然、背後から抱きしめられた。
叫び声を上げようとしたが、すぐに口を布のようなものでおさえられてしまい、声が出せない。

「ハア…ハア…!」

抱きしめたのは、どうやら男性のようで、マドカの耳元で荒い息をしていた。
マドカは突然のことに驚き、パニックになってしまい、必死で身をよじって男の腕を振りほどこうとした。
しかし男の力は強く、逆に小柄なマドカを抱きかかえるようにして、公園の中に連れ込んでしまった。

「し、静かにしろ…!」

公園の中には小さな公衆トイレがあり、その陰の暗闇の中に、男はマドカを引きずり込んだ。

「暴れなければ、放してやる…!」

小さいが、腹の底から絞り出すような、不気味な鬼気迫る男の声だった。
マドカは心底恐怖してしまい、男の言うことに従うわけではなかったが、その体から力が抜けてしまった。
すると男は、マドカを締め付けていた両腕を放してやり、彼女の目の前に姿を現した。

「…お、俺のこと…覚えてるか…?」

トイレの壁に体を押し付けられ、なおも口を布のようなもので塞がれていたマドカは、涙目になりながら男の顔を見た。
その顔は、帽子とマスクで半分以上覆われていたが、その特徴的な細い目に、見覚えがあった。

「へ…へへ…。そうそう。ずっと、アンタのこと見てたんだからな。忘れないでくれよ」

その男は、大学の図書館で良く見かける学生だった。
毎日のように本を借りに来るその男に、多少の違和感は感じていたものの、まさか自分のことを見ていたとは、マドカは夢にも思わなかった。

「いつも…本に手紙を挟んでたのに…。アンタは気づかなかった…。なんで…なんでだよ!」

血走ったその目は、暗い怒りに満ち溢れていた。
そんなこと、マドカは気がつかなかった。彼女はいつも機械的に、返却された本を元の棚にしまうだけだった。
しかしもし気がついていたとしても、マドカがその手紙に返事をすることはなかっただろうが。

「もういいよ…。アンタも俺のこと、馬鹿にしてるんだろ…。もういいから…。もういいから、全部終わりにするよ!」

まったく支離滅裂な男の言葉だったが、マドカには彼が何をしようとしているのか分かった。
必死でこの場から逃げ出す方法を考えたが、パニックになり、頭が回らない。叫び声を上げようとしても、口は塞がれたままで、何より恐怖で声も出ないし、指一本動かせる気がしなかった。

「アンタが悪いんだからな…。アンタが…」

男はブツブツとつぶやいて、マドカのワイシャツに手をかけた。
その拍子に、マドカが肩にかけていた鞄が地面に落ち、中の荷物がこぼれた。
男はそんなことにも気がつかない様子だったが、マドカがふと目を落とすと、そこにはあのお守りが転がっていた。
女性をかたどった埴輪が、丸い球の上に乗っているあのお守りである。

(……!!)

マドカの頭の中で、何かが弾けた。

(この人も…男なんだから…!)

そう思うのと、体が動くのが、ほとんど同時だった。
男の両脚は、無防備に大きく開かれており、マドカは思い切ってその股間に右膝を振り上げたのだ。

「うっ!?」

男の目が一瞬、大きく見開かれた。
男自身にも、何が起こったのかよく分からない様子だった。その手は今にもマドカのワイシャツを脱がしてしまいそうなところまできていたが、その動きがぴたりと止まる。
まったくの当てずっぽうで振り上げられたマドカの膝は、男の急所にクリーンヒットこそしなかったが、その動きを止めるには十分な威力だった。

(えい! えい!)

マドカは続けて二発、同じように男の股間を蹴り上げた。

「あ…! んん…」

男はあるいは、興奮のあまり、痛みに鈍くなっているのかもしれなかった。
三発目の急所蹴りをくらったとき、ようやくマドカの体から手を離し、自分の股間をかばうような仕草を見せた。
しかし、マドカは油断しなかった。
ダメージが少ないと見るや、少し体を丸め始めた男の股間に素早く右手を伸ばし、ジャージに包まれたその両脚の付け根にある物体を掴んだのである。

「うわあっ!!」

自らの最大の急所を掴まれて、ようやく男は状況を理解した。
彼の股間にある男性の象徴は、少し前までその先端でジャージの前を押し上げていたが、今はその付け根の最も弱い部分が、マドカの右手に掴まれてしまっている。

「んんーっ!!」

マドカは何も考えず、伸ばした右手に当たった小さな丸い物体を、全力で握りしめた。
数時間前、ジムで掴んだ木村の股間の感触は、まだ覚えている。男の反応を見る余裕はなかったが、握りしめるうちに、これが男の最大の急所だと、マドカは確信した。

「ぎゃあっ!! ああっあ…!!」

男はまず、肺の中の空気をすべて吐き出すように、大口を開けて叫んだ。
しかしその後は、痛みに呼吸も忘れてしまったらしい。爪を立てて急所を握るマドカの手を振りほどこうとしても、まったく体が動かなかった。
一方のマドカの握力も、限界が近づいていた。
マドカには男の痛みがどれほどのものか分からなかったが、今自分が握っている小さな玉を離してしまえば、また男が襲い掛かってくると思った。
それならばいっそ、潰してしまわなければいけない。この小さな玉が、男の欲望の源なんだということを、マドカは本能で悟っていた。

「えい! えい! えーい!!」

気合を込めて、三度、全体重をかけるようにして握りしめた。
最後に握りしめたとき、マドカの手の中から、男の丸い玉が消えてなくなったようだった。

「ぐ…ぐえーっ!!」

ヒキガエルのような声を上げて、男の口から細かい泡が噴き出てきた。
その瞬間、痛みで硬直しきっていた男の体から力が抜け、糸が切れた人形のように地面に倒れてしまった。

「ハア…ハア…」

それはほんの数十秒間のことだったが、マドカにとっては途方もなく長い時間に思えた。歯を食いしばり、かつてないほど全力で握りしめたその右手には、もはや感覚がない。
ふと我に返ると、急いで乱れたワイシャツを直し、地面に落ちていた鞄を拾い上げた。そしてその傍らに落ちていたあのお守りを握りしめると、わき目もふらずに家に向かって走って行ったのだった。




自宅に戻ったマドカは両親に男のことを話し、両親はすぐさま警察に通報した。
警察によれば、公園の公衆トイレの陰で男が一人、気絶しており、それはやはりマドカの勤めている大学の学生だった。
男はマドカを襲った事実を認め、逮捕された。その睾丸は潰れてはいなかったものの、その一歩手前の睾丸損傷ということで、しばらく入院したのち、拘置所に移送されるということだった。
大学は男を退学処分にし、マドカの身に危険が及ぶことはなくなった。
マドカの周りに、ようやく日常が戻ってきたのであった。

(……)

しかしマドカは、祖母のくれたあのお守りを見ながら、しみじみと考えるのである。

(あの日、男の人の股間にあんなに関わってなかったら、蹴ろうなんて思わなかったな…。そして、あのときこのお守りがバッグから落ちなければ、思いつかなかったかも…。やっぱり、これって…)

確かにそのお守りは、マドカの命の恩人といっても良かった。そして、マドカが偶然だと思っていた一連の出来事が、もしそうではなかったとしたら…。

(おばあちゃんは金運のお守りって言ってたけど、そうじゃない…。金運…金…金っていったら…)

「中根さん。中根さん!」

考え事に集中して、主任の来島が呼んでいることに気がつかなかった。

「は、はい!」

慌てて返事をして、お守りを握りしめたまま振り向く。

グシャッ!

と、来島の股間に、マドカのお守りがめり込む音がした。
そのお守りの女神は、丸い球の上に乗ったまま、来島の玉も踏みつけたようだった。

「ぐ…あ…!」

再び来島は、男の最大の苦しみに喘ぐことになる。

「あ…! 主任! また…。ご、ごめんなさい…!」

マドカの必死に謝る声も、来島には届かない様子だった。



終わり。


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